デス・オーバチュア
第89話「甘美なる血の終焉」




天蓋付きのベッドに、裸の幼い少女が眠っていた。
少女の名前はミーティア・ハイエンド、ファントム十大天使番外位『深淵(ダァト)』を司る者にして、ファントム総帥アクセル・ハイエンドの曖妹である。
ミーティアの顔は血の気を失い、蒼白に変わっていた。
その唇から寝息が零れていなかったら、死人にも見えただろう。
ミーティアの首筋についた二つの傷が、ミーティアに何が行われたのか物語っていた。
ティファレクトはミーティアの頬にそっと手を添える。
常人なら致命的な量の血液を失いながら、それでもミーティアの寝顔は安らかだった。
ティファレクトはミーティアの艶かな金色の髪を、優しく撫でる。
他者の肌や髪を愛おしげに撫でるなど、ティファレクトには初めての行為だった。
ティファレクトにとって他者の肌とは引き裂くための物に過ぎない。
いや、他者という存在全てが壊して快楽を得るための玩具であり、食事のための獲物に過ぎなかった。
「貴様の血(命)は無駄にはしない。全てが終わるまでそこで眠っているといい」
ミーティアは多分死なないし、吸血鬼になることもない。
この金髪の少女は幼い姿形からは想像しにくいが、紛れもない『魔人』……限りなく魔族に近い特種な人間なのだ。
ゆえに致死量を超える血液を失っても生きているし、吸血鬼の支配を受けることもない。
認めたくないが、少女の方が、ティファレクト……吸血鬼より高次な存在なのだ。
「貴様の願い……約束は最大限守れるように努力はしよう……だが、あまり期待はするな」
呟くティファレクトの唇は蒼白なミーティアとは逆に鮮やかな血色を見せ、肌にも血の気が通っている。
吸血鬼というより、より人間に近い顔色だった。
それはティファレクトが、ミーティアという魔人の血を通して莫大な生気(精気)を得た何よりの証。
だが、ティファレクトの瞳は赤く輝き、唇からは長く伸びた二本の牙が零れており、どれだけ生気に満ち溢れていようと、彼女が吸血鬼である事実は揺らぐことはなかった。
「我には振り返る過去もなければ、夢見る未来もない、現在だけが……瞬間の快楽だけが我が存在の全て……」
だからこそ、己の心を偽ることも、妥協することも決してない。
「深淵の流星(ダァトのミーティア)よ、次に貴様と出会う時、我は貴様の望むものを約束通り捧げよう」
ティファレクトはそう誓約の言葉を口にすると、ミーティアの眠る部屋を後にした。



「いつかの吸血鬼……」
その吸血鬼と出会ったのは唯一度だけ、ホワイトの霊峰フィラデルフィアでのことだ。
「いつかの吸血鬼か……貴様にとって、我の認識はその程度のものか。我は貴様のことを忘れたことなど唯の一度も無かったというのに……寂しいことだ……」
ティファレクトの声は涼やかで、それでいてどこか物悲しげである。
「…………」
目の前の吸血鬼は、以前出会った時とは、まるで違っていた。
初めて出会った時の吸血鬼は血の殺戮に高揚していたが、今の吸血はどこまでも静かに、穏やかに、落ち着き払っている。
それでいながら、威圧感と魔力は、前とは桁が明らかに違っていた。
「言葉はいらぬ。貴様にとって、我は足下の小石、目的地への道のりを塞ぐ壁……最後の敵の前の前座に過ぎぬだろう。だが、我にとっては、貴様は最強最後の敵だ。貴様と万全の形で戦うためだけに、ネツァクも銀髪の魔術師も見逃してやった。我が決着をつけたいのは貴様のみ! 魔術師にも人形師にも返したい屈辱はあるが……貴様に与えられた我が生涯最大の恥辱の前には小事に過ぎぬ!」
「恥辱……?」
この吸血鬼に自分が何をしたというのだろう? 戦い傷つけた? ただそれだけのはず……。
「貴様は我に恐怖を感じさせたこの世で唯一つの存在! 吸血鬼である我が恐怖など感じてはならぬのだ! 我こそは恐怖そのもの! 力そのもの! 過去も未来もない我にとって……他者に与える恐怖と、他者を殺めることで得る快楽だけが我が存在の全て! 貴様には分かりはしまい! 貴様に恐怖を感じたということが我にとってどれだけの辱めとなったのかをなっ!」
ティファレクトの身体中から赤黒い魔力の光が溢れ出していた。
「…………」
「解ってはいる、貴様にとっては我はただの障害の一つ、執着されるのも恨まれるのも迷惑に過ぎぬことなど。多くは望まぬ……ただ、我と戦え! それだけが我が唯一つの望みだ!」
「……解った」
この吸血鬼を言葉で説き伏せるのは絶対にできない。
門の向こうのクロスの所に一秒でも速く駆けつけたい、けれど、この吸血鬼を無視して門を抜けるのは不可能だ。
ならば、戦うしかない。
それも全力でだ。
「我の後のアクセルとの戦いに備えて、余力を残すなどという……これ以上我を辱める行為は許さぬぞ」
「……解っている……そんな失礼なことはしない……」
そんな余裕を持って戦える相手でないのは一目で解っていた。
吸血鬼の放つ魔力は、門の向こうのクロスやアクセルと比べても殆ど遜色が無い。
この吸血鬼は間違いなく高位魔族の域にまで達していた。
「ならば、来い、死神よ! 貴様に与えられた恥辱を晴らすため、我は傲りとなる拘りを捨てよう」
「傲り? 慢心?」
「そうだ、我は人間相手には基本的に怪力だけで戦うという制約を自らにかしていた。それは人間を見下していたからこその制約であり、戦いを楽しむためのハンデだった……だが、もはやその愚かな誇りは捨てた。真に守らなければいけない誇りは、何者にも敗れず、何者も恐れず、絶対的存在であることの方だ! そのためなら……我は我の持つ全ての力を貴様に見せよう!」
ティファレクトの左手が先から赤い霧になって消えていく。
「つっ!」
戦いはすでに始まっているのだ、タナトスは慌てて魂殺鎌を召喚した。
「そう、その大鎌だ……それこそが我に恐怖という恥辱を与えた……今こそ、その恥辱を晴らそう!」
ティファレクトの左手が赤い霧となって消滅したかと思うと、霧は一匹の狼と化し、タナトスに襲いかかる。
「くっ!」
タナトスは大鎌で狼を切り払おうとするが、刃の当たる直前に狼は霧へと戻り、刃をすり抜けた。
そして、赤い霧は一瞬で再び狼に戻ると、タナトスの首に噛みついた。
「ぐっ!?」
タナトスは痛みを堪えながら、大鎌を切り返した。
狼は再び霧に戻り、刃をかわすと、タナトスを包囲するように漂い続けている。
「全てを殺す大鎌でも、霧は斬れぬようだな」
「ぐっ……ならばっ!」
タナトスは大鎌を振り下ろし、死気の風をまき起こした。
死気の疾風は霧を掻き消していく。
「ふむ……まあ、こんなもので貴様を倒せるとは思っていない」
霧が完全に消え去ると、ティファレクトの左手がいつのまにか復元されていた。
ティファレクトは自らの牙で左手の親指を噛み切る。
異常に勢いよく噴き出した血が、一振りの赤黒い剣と化した。
「吸血鬼が武器を使う!?」
「そうだ! 吸血鬼は本来武器などという借り物の力は使わぬ! 武器を使うということ自体我にとっては屈辱なのだ! だが、敗北の屈辱に比べれば耐えられぬ屈辱ではない!」
ティファレクトは一瞬で間合いを詰めると、鮮血の剣を叩きつける。
魂殺鎌と鮮血の剣が交錯した。
「折れない……」
「当然だ! 血とは『知』にして『力』そのもの! 覚えておくといい、自らの血を武器とするこのブラッドソードこそ高位の魔族や神族にとっては基本にして最強の武器だということを!」
タナトスの魂殺鎌がゆっくりと押し返されていく。
腕力ではティファレクトが遙かにタナトスを凌駕していた。
その上、あらゆる物質を切り裂く神界最硬の石『神柱石』でできているはずの魂殺鎌を持ってしても、ブラッドソードには亀裂一つ作ることができない。
「我にはまだ右手が残っていることも忘れるな」
タナトスが両手で魂殺鎌を押しているのに対して、ティファレクトは左手だけでブラッドソードを押しているのだ。
ティファレクトの右手が霧と化したと思ったら、今度は無数の蝙蝠に変化する。
蝙蝠達は、ブラッドソードを魂殺鎌で受け止めるだけで必死で、身動きできないタナトスの体中に噛みついた。
「あああああっ!?」
どこか甘く身体と精神を麻痺させる快楽を伴った痛みが走る。
「ほう……」
蝙蝠達は霧と化し、再びティファレクトの右手に戻った。
「なんと甘美な血だ。こんな間接的な吸血ではなく、我が牙から吸い尽くしたい衝動にかられる……聖なる乙女……いや、もはや女神の血だ……」
「うう……ぐぅっ!」
タナトスは転がるように後方に逃れる。
ブラッドソードが押しつける相手を失い、地面に叩きつけられた。
「おっと、あまりの美味に一瞬だけ気が抜けていたか? 失礼した。貴様は獲物ではなく、怨敵なのだからな……喰らうことより殺すことを優先せねばな。実に残念なことだが……」
タナトスは荒い呼吸を整える。
「ああ、心配することはない。分身の蝙蝠に血を吸われたところで、貴様に何の害もない。もっとも吸われすぎたら、血が足りなくなって死ぬかもしれぬが……そこまで脆弱ではなかろう? ただの人間でもあるまいし」
ティファレクトは嘲笑するような笑みを浮かべた。
「はあはあ……ああああああああああああああああああああああああっ!」
タナトスの咆吼と共に全てが一変する。
空気が、大気が、空間が、その『色』を変えた。
どこまでも冷たく、鋭く、そして禍々しく……。
「……無限の呼吸……永遠不変の循環……死気解放……あああああああああああああああああああああああっ!」
言葉にならないタナトスの叫びと共に、彼女を中心に灰色の風が溢れ出す。
灰色の風……死気の刃がタナトスの周りを渦巻いた。
「死気の嵐か……確かに、それでは霧など近づくこともできずに霧散するだろう」
「…………」
タナトスは答えず、ただひたすらに死気の激しさを高めていった。
「風で霧は掻き消すといっても、実際に霧を『消す』ことはできない。この意味が解らぬ程愚かではあるまい?」
そう、タナトスが死気の嵐をティファレクトに叩きつけても、彼女は霧になってかわすことができるのである。
霧に転じる間を与えない程、一瞬で攻撃できれば話は別だが、デスストーム(死嵐)はそういった瞬殺系の技ではなかった。
「……デスストーム……」
タナトスを取り巻いていた死の気流が瞬時に嵐と化す。
「ふむ、それが解っていながらあえて正面からぶつかるか?……良かろう。我も避けるのではなく、正面からあえて受けてやろう」
「……バースト(爆砕)!」
タナトスが大鎌を振り下ろすと同時に、死気の嵐がティファレクトを呑み込み大爆発した。



死気の嵐の爆発が周囲を荒し尽くした後、消滅する。
そして、無傷のティファレクトが姿を現した。
「凄まじい破壊力だ……だが、届かなければ何の意味もない」
ティファレクトの周囲を赤黒い光が激しく渦巻いている。
「別にたいしたことはしていない。我が纏うこの赤黒き光……魔力で作った風で、貴様の死気の風を防いだに過ぎぬ。貴様のさっきの技は威力こそ凄まじいが大味すぎる、逆に我はひたすら力を小さく集中することで、貴様の技に耐えきる防御壁を作ることができた」
「うっ……はぁ……」
タナトスは倒れ込みそうになる足に力を入れ直し、呼吸をなんとか整えた。
「では、次は我から行こう……」
ティファレクトの身体中から赤黒い光が物凄い勢いで溢れ出していき、周囲を赤く、黒く、染め上げていく。
「……血界(けっかい)……」
ティファレクトが呟いた時には、部屋中が、世界が赤黒く完全に染まりきっていた。
ティファレクトが後ろに軽く跳んだかと思うと、その姿が赤黒い世界に同化するように消失する。
「……うっ」
次の瞬間、タナトスの背筋と首筋に寒気が走った。
「我が獣に喰い千切られた傷はもう跡形もなく治っている……綺麗な肌だ」
いつのまにかタナトスの背後に出現したティファレクトはタナトスの首筋を愛おしむように撫でる。
タナトスは振り向きざまに、大鎌を横に薙ぎ払った。
しかし、すでにティファレクトの姿は無い。
「もっとも、常人なら、首筋を噛み切られただけでもくたばるか?」
ティファレクトの声だけが部屋中から響いてきた。
声だけではない。
ティファレクトの気配も部屋中からする……いや、タナトスにとっては自身がティファレクトの体内に呑み込まれたような気分だった。
「そうか……世界との同化……」
「そこまでたいしたものではない。我が血の魔力で満ちたこの小さな『世界』だけが我の支配領域だ」
「くっ……」
それでも充分の驚異である。
この部屋の中なら、ティファレクトはどこにでも瞬時に出現し、またいつでも世界自体に溶け込み、攻撃不可能な存在へと転じるのだ。
「我はビナーとは違う、いたぶって楽しむような趣向は持ち合わせてはいない。一瞬で終わらせてやろう。それも甘い快楽の中で……」
タナトスの首筋に寒気が走る。
「くっ!」
タナトスが指一本動かす間もなく、ティファレクトの牙が、タナトスの首筋に深々と突き刺さった。



「ああ……ああ……んん……ああああああああぁあぁぁぁっ……」
タナトスの両手から、力無く魂殺鎌が取り落とされ、床に転がった。
物凄いスピードで、タナトスの体中の血液……精気がティファレクトの牙に吸い尽くされていく。
だというのに、痛みよりも、甘くとろけるような快楽がタナトスを支配していた。
タナトスを逃がさないように背後から抱き締めてくるティファレクトの両手の力よりも、その甘い快楽こそがタナトスから抵抗力を……抵抗する意志そのものを奪っていく。
体中から力が抜けていく、それが心地よくて堪らないのだ。
このまま全てを奪い尽くされてしまいたいという欲求がタナトスを支配する。
「ぐ……あぁ……あああああああああああああああああっ! 来い、魂殺鎌!」
だが、タナトスはその快楽に逆らった。
地に転がっていた魂殺鎌が独りでに動き、タナトスの左胸に迷うことなくその刃を突き立てる。
魂殺鎌の刃はタナトスごとティファレクトの左胸を貫いていた。
「うが、ああああああああああああああああああっっ!」
ティファレクトはタナトスの首筋から牙を抜くと同時に、背後に思いっきり跳び退る。
「馬鹿な……き、貴様、何を考えておる……ぐっ」
ティファレクトは右手で自らの左胸を押さえながら蹲った。
吸血によってタナトスから奪った力以上に、魂殺鎌に奪われた力の方が遙かに多い。
跳び離れるのが後一瞬遅かったら、彼女がティファレクトの血を吸い尽くすよりも速く、あの大鎌に魂というか、命というか、存在するための根本を吸い尽くされ、『死』を与えられるところだった。
不死者であるはずの自分がである。
血界ももはや維持できなかった。
室内は赤黒い世界ではなく、正常にして清浄な元の普通の空間に戻っている。
「だが、貴様もただでは……」
「危ないところだった……」
「何!?」
タナトスがティファレクトの方を振り返った。
腰が立たないのか、足に力が入らないのか、危なげな状態をしているが、タナトスの左胸からは血の一滴も流れていない。
「馬鹿な……!?」
「……子供の頃、私は何度も自殺したかった……いや、実際にしたんだ……だが、魂殺鎌はそれを許してくれなかった。魂殺鎌は私を決して傷つけないし、私の命だけは絶対に吸わない。それどころか、私が違う刃物や手段で自殺しようとしても、かってに誰かの命を吸って、その生命力を私に注ぎ込むことで無理矢理生かそうとするんだ……死すら許してくれないこの大鎌をあの頃の私はどれだけ呪ったか……」
「ク……クククッ……そうか、死神は自らの死の大鎌では決して死なぬ……ということか……」
ティファレクトは苦しげな表情のまま笑った。
「クッ……アハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
ティファレクトは狂ったよな笑い声を上げる。
結局、自分はまた傲り……慢心によって敗れるのだ。
吸血ではなく、ただ殺すだけに集中すれば、彼女を倒す機会は何度もあったのに……彼女の甘美な血の香に誘われて、判断を誤ったのである。
「極上の処女の血をあれだけ飲んだというのに……もう……ブラッドソード一つ……作れぬわ……」
血界という形で『外』に放出した魔力は一切体内に戻せず、命そのものも……不死者である以上おかしな表現な気もするが……一瞬でかなり吸い尽くされていた。
「…………」
「だが、貴様も大差ない有様ではないか、力の殆どを我に吸い尽くされてな……なぜ、あの快楽を拒んだ? いや、拒むことができた!?」
「……門の向こうで妹が待っている……妹の命が危ない……そんな時に、こんなところで私は気持ちよく死ぬわけにはいかない……」
「気持ちよくは死ねないか?」
何かおかしな表現に思えて、ティファレクトは笑いを堪える。
「そうか、貴様は自分を楽にしてやりたくないのだな。もっともっと、苦しみたいのだ……貴様にとって苦界で生きることの方が吸血以上の快楽なのかもしれんな?」
「……私はまだまだ苦しまなければいけない、まだまだ死ねない……だって、私は許されていないのだから……」
「……許されていない? 何を? 誰に?」
「死ぬことをだ……奪った命に、犯した罪に……償い切るまで私は生きて、苦しみ続けなければいけない……」
「そうか……貴様、救いようのない愚か者だな」
ここまで自虐的な者は初めて見たし、ティファレクトには永遠に理解できない考え方をこの死神の少女はしていた。
いや、もしかしたら、この少女は自身を苛むこと、苦しめること、傷つけることにこそ快楽を感じているのかもしれない。
苦しみ、傷ついている間だけ、犯した罪の意識から逃れることができるとでもいうかのように……。
「まあよい。我には理解できた、我は貴様を永遠に理解できないということがな……死の救いを拒む愚かな咎人よ」
「……咎人?……ああ、そうだ、私は罪人だ。永遠に許され無い……罪を償うために新たな罪を重ね続ける愚か者だ……」
「貴様の愚かなところは、己で己を苛むところだ。貴様は罪に酔っているに過ぎん。貴様に殺された死者が貴様を苛む? 違うな、貴様を苛んでいるのは貴様自身の罪の意識だけだ、愚か者!」
「……まさか……吸血鬼に説教されるとは……思わなかった……」
「ふん、快楽のままに生きる我と……正反対の生き方をしている貴様が腹立たしかっただけだ!」
何者にも縛られず、快楽のままに生きることを誇りとする吸血鬼と、自らを罪の意識で縛り付け、楽や幸せになることを拒み続ける死神、どちらがより愚かなのか……それを判定できる者はここには居なかった。
「では、終わりにするぞ、死神よ……」
ティファレクトは残った全ての魔力……『力』を右手だけに集めていく。
タナトスの左手の甲に黒い紋章が浮かび上がり、魂殺鎌が改めて形成された。
「……次で最後……」
「ああ……貴様がなっ!」
ティファレクトはタナトスに飛びかかる。
全ての『力』を集約させた右手が突きだされた。
タナトスを切り裂くために。
唐突にタナトスの姿がティファレクトの視界から消えた。
右手が空を裂く。
そして、次の瞬間、ティファレクトの背中から巨大な刃が突き出ていた。
「……滅!」
タナトスの言葉と同時に、ティファレクトの意識は途絶えた。



心のどこかではこの時を、自らの破滅を望んでいたのかもしれない。
牙以上に、多くの血を、命を吸ってきた爪が空を切る。
次の瞬間、死神の大鎌が右胸を貫いた。
これで全てが終わる。
やっと終わることができる……悔いなどない。
ずっと昔からこの時を待っていた気さえする。
いつか倒されるために戦ってきた。
殺されるために、殺し続けてきた。
我を終わらせてくれた存在に感謝の言葉すら口にしたいぐらいだった。
……偽りのない気持ちで……。

待て。
何か悔いがあるような気がする。
せっかく潔く滅びることができるというのに、もう屈辱とか恥辱とか気にしないで済むようになるというのに……何の未練が、気がかりがあるというのだ?
『一つ目のお願いは、お兄様を守って欲しいの、ティファに』
ああ、そういえばミーティアに三つ程お願いを……約束をさせられていたな。
ネツァクとアクセルの事は、あの二人の痴話喧嘩というか、ファントム同志の争いのように思えたという理由……見逃した言い訳があるが、銀髪の魔術師を見逃したのは、すぐに死神がやってくるのが解っていたから、余計な力を使いたくなかったというのが理由であり、言い訳のしようがなかった。
悪いな、ミーティアよ……だが、アクセルは強い、魔術師ごときには絶対に負けないだろうし、あれだけ死神を弱らせたのだ、死神にも負けることはないだろう……多分……。
『二つ目のお願いは必ず生きてミーティアの所に帰ってくること! 最後まで意地を張らずに危なくなったらすぐに逃げるのよ!』
それのどこが願いだ、お前の得になってないではないか、ミーティア。
『で、最後のお願いは……ファントムが壊滅したり、お兄様が亡くなった時のこと……その後の余生はミーティアにつき合って欲しいの。ねっ、飽きるまで一緒に生きていきましょうよ……長き旅の道連れになって欲しいの、ねっ、いいでしょう、ティファ?』
何が余生だ。
あの永遠幼女が……。
まあ、それも悪くないかと思ってしまった我もどうかしているかというか、まあ、どうせ我には生きる目的も目標も何もない、未来無き者、快楽という現在だけに生きる者だ。
未来などあの幼女に全てくれてやってもいい。
だから、約束をかわした。
三つの約束……。
その一つたりとも果たすこともできなかった。
それがミーティアに悪い気がするというか、心残りになったのだろう。
でも、それは仕方ないことだ。
我は敗れ……こうして滅び行くのだから……。








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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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DEATH・OVERTURE〜死神序曲〜